2006年
02月
21日
(火)
22:49 |
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かつてわたしは音楽を作って生活していたことがある。
『曲作りは表現したい部分を決め、そこへ肉付けしていってつじつまを合わせる』
と言ったら、それはセンスだ、とのこと。
いやいやそんなことはありえません。
わたしは5才〜20才まで15年ピアノを習っていた。
弾いた曲数でいえば数百曲とかになるんだろう。
その間にしみついた響きや構成や手クセを使って、わたしは曲をつくる。
要はパターンと決まりごとの組み合わせなのだ。
だから作曲って、創作のなかでも特にセンスとはかけ離れている、とわたしは思う。
別に作曲にかぎらない。絵を描くんだって、デッサンがきちんとできなければ
必要なものを紙の上に起こすことができない。
バレエもそう。いろいろな作品があるけれど、全てひとつひとつのパの組み合わせ。
センスってのはそういうものの先にある。
決まりごとの組み合わせの中に、どれだけ自分の意図や意欲を表せるかってこと。
フシギなことにひとは知識はなくとも、こういうものをかぎ分けるカンカクは
優れていると思う。第六感ってやつでしょうか。
結局、長いことつちかって無意識に出てくるくらいこなれたものでないと
自分の中にあるものとして出すことはできない、ということ。
そしてそれは、整体もおんなじなのです。
『曲作りは表現したい部分を決め、そこへ肉付けしていってつじつまを合わせる』
と言ったら、それはセンスだ、とのこと。
いやいやそんなことはありえません。
わたしは5才〜20才まで15年ピアノを習っていた。
弾いた曲数でいえば数百曲とかになるんだろう。
その間にしみついた響きや構成や手クセを使って、わたしは曲をつくる。
要はパターンと決まりごとの組み合わせなのだ。
だから作曲って、創作のなかでも特にセンスとはかけ離れている、とわたしは思う。
別に作曲にかぎらない。絵を描くんだって、デッサンがきちんとできなければ
必要なものを紙の上に起こすことができない。
バレエもそう。いろいろな作品があるけれど、全てひとつひとつのパの組み合わせ。
センスってのはそういうものの先にある。
決まりごとの組み合わせの中に、どれだけ自分の意図や意欲を表せるかってこと。
フシギなことにひとは知識はなくとも、こういうものをかぎ分けるカンカクは
優れていると思う。第六感ってやつでしょうか。
結局、長いことつちかって無意識に出てくるくらいこなれたものでないと
自分の中にあるものとして出すことはできない、ということ。
そしてそれは、整体もおんなじなのです。
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